ホスピタイル開発者インタビュー第1弾。超消臭タオルが生まれるきっかけとなった武部貴則先生との出会い。提唱するストリートメディカルとは?ホスピタイル の可能性についてのロングインタビュー。
ー01 異業種のおふたりが一緒に開発をすることになった経緯を教えてください。
武部:
2016年に「横浜の未来にひらく”100の種”」というクリエイターや研究者が集まるアイデアピッチのようなイベントがあったんですね。その中でひときわエッヂの効いたプレゼンをしていたのが矢内原さんでした。ファッションデザイナーで面白い人がいるなと思い、すぐメールを送ったことを覚えています。
矢内原:
恐縮です。そうでしたね。その後何度かやりとりがあって、次は僕から横浜のクリエイターが集まる「関内外OPEN!」というイベントにお声がけしました。関内の路上に座って輪になって話す「大人のアゴラ」というカオスな企画があったのですが、NOSIGNERの太刀川さん、STGKの熊谷さん、オンデザインパートナーズの西田さんなどと一緒にゲストとして参加していただきました。それから医療×衣料でなにかできないかという話になって、一回カタチにしてみましょうと開発が始まりました。
武部:
医療というのは矢内原さんの領域外だったと思うのですが、私たちのモチベーションに対して前向きに「協働できる領域を探していきましょう、自分たちも挑戦してみたい」と
いってくれた稀有な人だったので、意気投合してすぐに動き出しましたね。
矢内原:
僕は昔からファッションデザイナーとして「価値を可視化すること=mode」だと大きく捉えています。なので医療に対してデザイナーがなにかを問われ、こんなのいいんじゃないですかと形にしてお答えすることにもともと違和感がないんです。
むしろYCU-CDCの概念を聞いたときに、再生医療という専門性の高い領域の先生が、未病に対してコミュニケーション領域で取り組んでいることに感銘を受け、僕らで手伝えるならやりたいなと思いました。
ー02 武部先生にお伺いします。ストリートメディカルとはどういうものですか?
武部:
矢内原さんと最初にお会いした頃、私がセンター長を務めるYCU-CDCで「メタボパンツ」というものを作っていて、ウエスト85センチを境に色が変わるんですね。
メタボの方達には体調よりも体系を可視化した方が、より積極的な自己管理に結びつくという研究です。
今まで医療というとお薬、手術、あるいは放射線という形で組まれていました。けど僕らは、これからの「医療」は病院だけのことではなく、
生活に密着した「技術」として拡張されていくという仮説を持って取り組んでいます。
例えばアパレルプロダクトと医療を結びつければ、消費財として世の中の人を健康にしたり明るくするものができるんじゃないかと。
生活を支えたり、日々を豊かにする医療、それがストリートメディカルの考え方です。
そのために広告・デザインの分野と医療分野を結びつけ、クリエイティビティをもって課題発見から解決策を確立・実践することに重きをおいています。
私たち医療の人が外に出ることで、出会った人と互いに自分の領域を拡張できる。その間に生まれる共通項に解決策や開発余地があると思っています。
ー03 開発中はどのようなことを話し合ったのですか?
矢内原:
最初は武部先生たちと対話しながら、汗を可視化するTシャツや
体温を可視化するTシャツをプロトタイピングして、運動促進のアイテムを考えました。その後、さまざまな可能性を探しているときに、医療や福祉の中で出てくる様々な課題についての話になっていきました。
例えば冷え性のために程よく暖かくなる素材はないかとか、床ずれにならない素材はないかとか。このタイミングで、昔から親交のある渡辺パイル織物の渡邊利雄さんにブレスト会議に加わっていただき、いろいろなアイデアを話し合う中で今回の消臭繊維の技術の話がでてきました。
武部:
消臭機能と聞いてすぐ結びついたものは、複数の福祉施設を運営している方々から聞いた匂い問題があるという話でした。
例えば高齢者施設のお迎えの車も匂いがきつくなってしまうようで、そこが暮らしの一部になっている人も、働いている人もストレスを感じている。それは消臭繊維で解決できるんじゃないかなと思いました。
矢内原:
すぐに商品開発にとりかかって、プロトタイピングの時点では「KESERU」という名前をつけていたんですね。しかしやっているうちに、このプロダクトはただ消臭であるというよりも、医療課題を解決するべく始めたプロジェクトであることを思い出し、商品名からも医療的なニュアンスが伝わった方がライフスタイルで使うとしてもみなさんに届くのではと考え直し、ホスピタル×テキスタイル=ホスピタイルに変更しました。
武部:
いまこのコロナの状況で抗菌、消臭というキーワードが安心材料になってきています。
医療的価値が生活に入っていくことは、消費者により伝わりやすくなったように思います。
ー04 矢内原さんに伺います。このプロジェクトにおけるデザイナーの役割はなんでしたか?
矢内原:
プロダクトとコンテクストを、どちらかが先行ではなく同時にデザインしたということかなと思います。消臭という機能に別のストーリーを持ってきたり、トレンドに合わせた形や色展開をしたり、デザイナーとしてデザインに引っ張ることはなるべくせず、医療×消臭というコンテクストの流れででてくる素直なプロダクトってなんだろう、という方向で考えました。つまり、たいしてデザインはしていないということです。(笑)
武部:
(笑)
初め僕たちYCU-CDCのメンバーはカラーバリエーションがあった方がいいんじゃないかと言っていましたが、最終的には、今回は白でいきますという矢内原さんの意見に納得しました。ミニマルにした方が伝わるデザインもあると、僕らにとっては気付きでした。
矢内原:
ホスピタイルは今後もデザインを広げるというよりも、抗菌や電気回路などの繊維技術を使って課題解決の領域を広げていくものだと思っています。
もちろんニーズがあれば色展開なども視野には入れますが、あくまでもブランドとしては愚直に機能を追求し、伝えていきたいです。
ー05 このタオルの可能性について教えてください。
武部:
医療関係の人と話していると試してみたいという声をよくいただくので、まずは私のフィールドである大学や病院、医療という領域にいる人たちに使っていただいて、活用できる現場を体感してみてほしいです。
矢内原:
開発した時は思いもしませんでしたが、今や生活様式が変わって、家にいる時間が長くなり、家族の加齢臭が気になるという話をよく聞きます。我が家がまさにそれです(笑)。
消臭という機能はそういう生活シーンにもフィットするんじゃないかと考えています。
医療の課題解決はもちろんですが、ライフスタイルに落とし込んだときに僕らも気づかなかったニーズが今後生まれてくると面白いですね。
例えば防災×ホスピタイルとか。このタオルだと洗剤を使わず水洗いするだけで匂いがなくなります。防災グッズのリュックの中に入れておくのもいいのかななんていうのもあるかもしれない。
コロナ以前から手洗い促進なども考えてハンカチタオルをラインナップに入れていたりするんですけど、衛生優先の社会に向いているプロダクトだなとは思います。
武部:
ハンカチタオルにはすごく可能性を感じます。エアドライヤーが使えなくなってしまったので、拭くものが必須になりましたよね。
薄いハンカチだとカバンがびしょびしょになってしまうし、横着なので数日置いてしまうこともあって…。今は毎日ホスピタイルを持ち歩いています。
矢内原さんは使ってみてどうですか?
矢内原:
バスタオルは梅雨のじめじめした時期でも、いわゆる生乾きの匂いにはなりませんでしたね。ただ若干、もともとの酢酸臭があるたのでタオル自体が全く無臭ということではないんですよね。
武部:
僕も最初は感じましたが、2〜3回洗濯したら気にならなくなりました。
ちょっと話は変わるのですが、最近消費行動が受動的になっていると感じていて、そこにいつものコンビニがあるから買っちゃうみたいな。
インフラによって受身的に選択していることが多いのですが、能動的に選択できることが幸福度につながると思っているんですね。
タオルは今まで”家にあるものを使うのが当たり前”として生きてきたのですが、自分でこの機能を選んで使えたのが自分にとって嬉しさでもありました。
矢内原:
最近はものづくりにもサスティナビリティが問われてきていますよね。リサイクルありきのものづくりの依頼は実際に増えているのですが、Refuse(リフューズ)つまり買わない選択をするということも大事だと考えています。
早く捨ててしまうものを沢山作るよりも、大事に10年使ってもらうことが結局環境に優しかったりしますよね。デザイナーとしては小手先のサスティナビリティでなく、大事に長く使える商品を生み出すことが責任であると思っています。
〇武部貴則プロフィール
横浜市立大学先端医科学研究センター コミュニケーション・デザイン・センター長 特別教授 東京医科歯科大学 統合研究機構 先端医歯工学創生研究部門 教授
シンシナティ小児病院 消化器部門・発生生物学部門 准教授
オルガノイドセンター 副センター長
Takeda-CiRA Joint Program for iPS Cell Applications(T-CiRA) 研究責任者
2011年横浜市立大学医学部医学科卒業。再生医学研究者として、2013年に世界で初めてiPS細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基を創る。
矢内原充志 ファッションデザイナー・アートディレクター
桑沢デザイン研究所卒業。1997年パフォーミングアート集団「ニブロール」のディレクター・衣装担当として活動を開始。2002〜2010年「Nibroll about Street」名義でレディスコレクションを発表。2004年企画デザイン会社「有限会社スタジオニブロール」を設立。2011年メンズブランド「Mitsushi Yanaihara」を始動。2012年Tokyo新人デザイナーファッション大賞プロ部門選出。桑沢デザイン研究所非常勤講師。